みんなが幸せに維持できる産業を
星達哉さん
津波が奪ったものは自分たちが取り戻そう
南三陸町といえば、おそらく漁業のイメージを抱く方が多いかもしれません。しかしここ戸倉地区には、祖父の代から農業を営む人がいます。星 達哉さんは現在、南三陸の資材を生かして「地元ならではの小松菜」を作っています。
もともとは弟さんとともに、お祖父さんの切り花用の輪菊栽培を手伝っていたという星さん。しかし2011年の震災が、そこまで積み上げたすべてを奪っていきました。「大学を出てすぐは会社勤めをしていたんですが“やはり農業をやりたい”と思い就農して、3年目のできごとでしたね。あの津波でハウス施設も農業機械も全部流されてしまって。 その1ヶ月ぐらい、避難所暮らしをしていました」。
そこでは地域の仲間たちも同様に、避難生活を送っていました。そうした中で話題に出るのはやはり“これからの話”。 先が見えないながらも「今後生計をどう立てるか」は喫緊の問題です。眼の前には、延々と続くガレキの山。当然「農業を辞める」という選択肢もありました。しかし皆で何度も話し合った末、出た結論は「みんなでもう一度、この場所で農業をやる。自分たちで農業を復興する」ことだったといいます。
生産作物は小松菜に決めました。「以前作っていた輪菊は、お彼岸・お盆の最盛期を過ぎると農閑期に入るため、恒常的に仕事をシェアすることができない。例えば漁業に携わっていたが仕事を失ったという方も、自分の畑を再建できない農家の方も、通年で一緒に働いていただき、安定してお給料をお支払いできるスタイルにしたかったんです」。
地域の資源を活用しなきゃ「モッタイナイ」
ハウスは現在60棟。さらに露地の畑が数ヘクタールほどあり、現在15名ほどのメンバーで作付けをしています。堆肥の資材は南三陸杉の樹皮、南三陸産米の籾殻、志津川湾で捕れたカキやホタテの殻等、地元の山里海の恵まれた資源を中心に堆肥盤に積み、発酵させてから使用します。これらをすき込むことで“保水性が高く、排水性・通気性がよい”土壌となり、しっかり根の張った健やかな小松菜が育ちます。
また農薬の使用も極力抑めに。ハウスには紫外線をカットするシートを張り害虫の成長を阻害。さらに周囲に防虫ネットを張る、誘虫ライトを灯す、といった物理的対策も採り入れ害虫をシャットアウトします。こうした努力が実り、大手食品メーカーが実施したテストで、星さんの小松菜は「全国平均と比べて甘さと旨みが強く、ビタミンCなどの栄養が豊富」というデータが得られました。
「1年を通じ忙しいこと」が大切
小松菜は葉物野菜の中でもアクが少なく、その応用性はピカイチ。炒めてよし、茹でてよし、和えてよし。また生のまま果物と一緒にミキサーにかければ、栄養豊富で美味しいスムージーができます。またたっぷり小松菜を入れたスープなら、溶け出た栄養もまるごと採れておすすめです。
春から夏にかけては30日で出荷する小松菜ですが、真冬には出荷まで60日もかかります。しかしそのまま同じように生産していては、1年を通じ安定した供給ができません。そこで冬場は特に播種のスケジュール管理やハウスの温度管理が大切な仕事になってきます。休むヒマがないのでは?と訊ねると、星さんは「いえいえ」といい、こう言葉を継ぎました。「1年を通じて忙しい、ということは年中人手が必要だということですから」。より多くの人と作業をシェアし、対価が安定して発生する仕組み。あくまで星さんは、この小松菜生産を「地域の産業」として、みんなで幸せに維持していくことを考えています。
現在は、小松菜の捨ててしまう外葉を、地元の方が鶏の飼料として活用するなど地域資源を循環する仕組みも推進中。また今後は加工品の材料としての出荷など、さまざまな可能性を見据えているといいます。「南三陸産小松菜」を目にする機会が、これからはもっともっと増えていくことになるでしょう。